2021年9月15日水曜日

日日笑好日 ☆☆  一日一個の幸せ発見ブログ ☆☆9月15日(水)の発見: 親ガチャ

最近ネットで「親ガチャ」なる言葉をよく見るようになった。

ガチャってなんだ? あのおもちゃを買うときのガチャガチャのことか??

何のことかよくわからなかったので、調べてみた。



子どもの立場から「親は自分では選べない」「どういう境遇生まれるかは全くの運任せ」と述べる表現ソーシャルゲームありがちキャラクター入手方法いわゆるガチャ)になぞらえ言い方

親ガチャとは逆に、親の立場から「どんな子が生まれてくるかは任意選択できない状況表現する言い方を、「子ガチャ」と表現する場合がある。子ガチャの方が親ガチャよりもソーシャルゲームガチャに近い構図といえる。 

(『実用日本語表現辞典』より引用)

 

ガチャガチャのように(ソーシャルゲームをやったことがないので、ソーシャルゲームになぞらえるとよくわからないので、昔からスーパーの階段のところにあるガチャガチャになぞらえてます)親は自分で選べないということらしい。

確かに親は選べない。親子げんかをしたあとなどに、「こんな家に生まれてこなきゃよかった」と捨てゼリフを吐いて家を飛び出すなんて、昔からドラマでよく見たし、私も家を飛び出すまではしなかったけれど、心の中で捨てゼリフを吐いて部屋にこもっていたっけ。

発想としては今も昔も変わらない。

ただし、言葉の使い方で、昔と今の意識の違いがよくわかる。

「こんな家に生まれてこなきゃよかった」には、この家に生まれてきたことを後悔する気持ちが含まれている。後悔の気持ち、そう、このセリフには多少なりともこの家に生まれてきたことを納得していた、多少なりとも愛を感じていたことが読み取れる。

でも、「親ガチャ」という言葉には、親に対する気持ちが、愛が一切感じられない。まるでゲームの中で、敵人を殺しても悲しくもなんともないのと同じ感じだ。ゲームの中で自分を助けてくれるキャラクターや武器のように、自分の思い通りにならない親はハズレと排除する極めて自己中心的な考えにみえる。

上記の辞典によれば、「親ガチャ」の逆で、「子ガチャ」という言葉もあるそうだから、お互い様ということか。

1番身近であるはずの家族に対して、この愛のない機械的な言葉が作られたことに、今の日本の闇を感じてしまう。いろいろと議論されているので、この言葉に違和感・嫌悪感を感じているのは私だけではない、ということに、多少なりとも希望は感じられるけれど。

言葉はどんどん進化するし、世の中を反映するものだけれど、家族を表現する言葉に、このような愛の感じられないゲームの言葉で表現されるなんて、なんか、ちょっと悲しいな。

どんな親だったら満足なのか。

金持ちだったらいいのか? 

全部とは言いませんが、金持ちの子どもでとんでもなく親に反発している人を見たことあるから、ただ、お金があるだけではたぶんダメ。 

幸せな人って、親や家族から愛されている人、愛情を惜しみなくもらっている人、そのことに気づいている人のような気がする。

愛されているのに、それに気づいていない人、気づけない人は、自ら不幸のガチャを引いているのではないだろうか。

コロナ禍で、家で過ごす時間が多くなり、家族の大切さを感じていただけに、なんか、「親ガチャ」という言葉の出現に、寂しい気持ちになった一日でした。

 

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