今日の「ナイト・ドクター」のテーマは、臓器提供についてだった。
ドラマ内での結論は、ドラマを見ていただくとして、私の考えについてここでまとめてみたいと思う。
まず、臓器移植について反対か賛成か。
提供された臓器を移植する手術が行われることについては、賛成である。命が繋がれていくということは、素晴らしことだと思う。
では、臓器提供については反対か賛成か。
矛盾するようではあるが、これについては賛成とは言えない。臓器売買というビジネスが存在する現実に、美談では済まされない現実がそこには存在するからである。 売る側と買う側には、弱者と強者の関係が成立する。人間の体そのものがビジネスになるのは、人権を無視した行為であり、絶対にあってはならない。いろんな国で厳しい規制があるものの、悲しいことに実際にどこまで規制が守られているのか、わからないという現実が存在する。(実際は噂だけで、実際には臓器売買は行われていないのであればいいのであるが・・・)
それともう一つ、これが私が臓器提供について素直に賛成できない1番の理由なのであるが、もし、自分が誰かから臓器提供を受けなければ生きられない立場に立ったときの自分が怖いのだ。誰かが亡くなったと聞くたびに、死を悲しむより前に臓器提供者かどうかを気にしてしまいそうで、それが非常に怖いのだ。人の死を純粋に悲しめない自分になるのがとても嫌だ。人間として正しいことをしようと一生懸命生きてきた今までの自分を裏切る行為だからだ。 自分自身を裏切るくらいなら、臓器提供など受けずに死んでいきたいと私は考える。
では、受ける側としてではなく、臓器をあげる側ではどうか。人の役に立つし、人の命をつなげてあげることができる。ただ、この場合も同じで、誰かの死を願う人の存在がどうしても受け入れられない。死んだ後、どうされようが自分ではわからないから関係ないと言えば関係ないのかもしれない。ただ、どうしても受け入れられないのである。もちろん、医療ドラマでドナーが現れ、命が助かったという話を見ると、涙を流しながら、「良かったね」とは思う。ただ、割り切れない思いも同時に感じてしまうのである。
自分でなく、自分の家族だったらどう思うだろうか。
もし、息子がドナーを必要とする病気にかかったら、もし、息子がドナーになる選択をしたら、私は一体どう考えるだろうか。
この割り切れない思いに折り合いをつけることができるだろうか。納得できるだろうか。
今の私には、答えが出せない。
答えが出せない以上、賛成と言うわけにはいかない。
この問題については、もっといろいろな立場から、時間をかけて考えていきたいと思う。