天気が悪いと、気持ちが少し鬱になってしまい、何を食べても、何をやっても楽しく感じられない。 人は何のために「生きる」のだろうか、なんておセンチになって考えてしまう。
人は何のために生きるのか。
朝起きて、ご飯食べて、仕事して。
それだけで、生きているといえるだろうか。
ロボットのように、ルーティンの日々を淡々とこなすだけで、生きていると言えるだろうか。
韓国ドラマ「海街チャチャチャ」の中で、一人暮らしのおばあさんのところに、若い人たちが大勢集まってきてくれたのが嬉しくて、ご飯をたくさん作って、みんなに食べてもらっていた。久しぶりに大勢でワイワイとおしゃべりしながらご飯を食べる、おばあさんはそんな時間をとても楽しく感じていた。おばあさんには友達もいるし、仕事もある。けれど、毎日ご飯を一人で食べて、寂しさを感じていた。
人との繋がりが、生きていく上でとても大事な気がする。
仕事もPCで黙々と一人でこなすことが多くなり、人と話すこと、人と一緒に何かをすることがとても少なくなってしまった。そこに、コロナでますます孤立が進み、ルーティンをこなすだけの日々になってしまっている。
一日誰とも話さずに過ごすことも増えてきた。
何のためにご飯を食べるのか、何のために仕事をするのか、何のために掃除するのか。何もしなくてもいいのではないか、と考えてしまう。
心臓を動かし、呼吸をするためには、ご飯を食べることが必要。
では、心を豊かにするためには、何が必要か。
社会生活ではないか。
生活保護を受け、お金に困っている人でも、新聞の購読だけは続けている人が多いと何かで読んだことがある。きっと、社会との繋がりを必要としているからだと思う。
オンラインはやはり代替え品でしかない。
同じ空気を吸い、同じ温度を感じ、同じものを見て聞いて、同じ経験を共有できる対面には敵わない。
長く続くオンライン生活で、相当ストレスが溜まっている。
早く対面に戻りたーい。
哲学のような出だしだったのに、最後はただのストレスの吐口となってしまった。なんか、とんでもない文章・・・😓
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