謝ることほど、難しいものはない。
褒めたり、お礼をいうのは簡単だ。たとえ思っていなくても、簡単に言うことができる。
でも謝ることはどうしてもできない。
どうしてか。
謝ることは、自分の非を認めることだから。誰でも自分が間違っていると認めたくない。そこには、プライドがある。覚悟がいる。勇気がいる。
間違いだと気づけたのなら、正すべきだというのは、頭ではわかっている。自分のことでなかったら、私もそのように言うだろう。間違いに気づけて、ラッキーだ、と。
でも、相手が正論であればあるほど、ますます謝るのが難しくなる。相手の正当性が光り輝き、その光が自分の心に大きな影を落とす。情けない心が逆反射するかの如く、浮き彫りになってしまう。自分の情けなさが否が応でも目に入る。どす黒い妖怪のような心の闇は、できれば見たくない。目を逸らしたい。ましてや、自分にもそんな妖怪が潜んでいたとは信じたくない。
自分が間違っていたのなら、悪いことをしたのなら、きちんと謝りなさい、と子供には何百回も言った。そして、謝ることは勇気のいることだから、勇気を持って謝った人のことは、許さなければならない、と。
親は子どもに見本となるような行動をしなければならない。
私がいつも何か行動する時の基準としていることがある。それは、子どもに尊敬されるかどうか。「俺の親ってスゴイんだよ」と子どもが自慢できることかどうか。
謝る勇気がなく、逃げ回っている自分を、果たして子どもは尊敬してくれるだろうか。
自分の間違いに気づいた時に、私がやらなければならないことは、ただ一つ。
勇気を持つこと。「ごめんなさい」という勇気。
ああ、緊張する。
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